【政治】外国だからと言って無関心な日本人がほとんど。EUだけの問題ではない。ブレグジットとは?

今回は、世間を騒がしているイギリスのEU離脱についてお話します。
日本の人はアメリカはまだしもイギリスはあまり関係ないんじゃないかと思っている人もいるかもしれませんが実は日本にもとても関係しているのです。そして投資にも影響がとても関係しています。
ですがこれは、まず歴史的背景を知らないとなかなか理解することが出来ませんので回り道になってしまいとても面倒だと思われるかもしれませんが日本の歴史的にも将来的にもとても関係していて、自分の身の回りの社会にも当てはまることなので、自分という視点でもみて置くと面白いかもしれません。
第一次世界大戦で問題となったドイツ帝国
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーは、ボスニアの州都サラエボの病院を訪問する途中、19歳のボスニア系セルビア人で国家主義者ガヴリロ・プリンツィプが短銃を取り出し、皇太子夫妻を銃撃しました。
これにより、オーストリア・ハンガリー二重帝国はセルビアに対して宣戦布告、これが第一次世界大戦の引き金となった「サラエボ事件」になります。
オーストリア・ハンガリー二重帝国がセルビアに宣戦布告するとオーストリア・ハンガリーに対してロシアが動員を行いそれに対してドイツ帝国が宣戦布告、そしてロシアと三国協商の同盟国のフランスが参戦、同じく同盟のイギリスも参戦しイギリスと同盟関係にあった日本も参戦しました。
年末にはオスマン帝国がドイツ、オーストリア・ハンガリー側の中央同盟国に参戦し翌年にはイタリアがロシア、イギリス、フランス側の同盟国、ブルガリア帝国は中央同盟国に、1916年にはルーマニア帝国が同盟国にそして17年にアメリカが同盟国に参戦しました。これにより世界を巻き込んだ壮絶な世界大戦が繰り広げられて行きます。
そして4年も続いた大戦は連合国側の勝利で終結し敗戦したドイツは、ドイツ革命でワイマール共和国を成立し「ワイマール憲法」を制定します。このワイマール憲法は当時の帝国主義の時代にしては珍しく民主的な憲法で国民主権、男女平等の普通選挙、議会制民主主義体制、大統領制などが盛り込まれたほか、基本的人権の「社会権」が初めて規定されました。
社会権とは、生存権や教育を受ける権利、労働基本権などを指していて現在の日本の憲法にも影響を与えています。この民主的な憲法はもうドイツを独裁的な国にさせない為に制定されたものですが、悲しくもそこからあの独裁的な政権のナチスが誕生することになるのです。
ヒトラーの台頭、第二次世界大戦へ
戦後、戦争の責任を負わされたドイツはヴェルサイユ条約で多額の賠償金を課せられます。その額がなんと現在の価格で200兆円、すごい金額ですね。
そしてさらに追い討ちをかけ1929年に起こった世界大恐慌によって企業は倒産し失業率が増加そしてハイパーインフレ。共和国政府に対する国民の不満は頂点に達していました。
そのときに躍り出たのがナチ党のヒトラーです。苦しみに喘ぐ国民に対して賠償金の問題や失業者問題について訴えかけ急速に勢力は拡大し変化を切望するドイツ国民を魅了しました。
そしてドイツの議会の最大の党となり首相パウル・フォン・ヒンデンブルクからドイツ首相に任命されます。そしてベルリンで議会の建物ライヒスタークが焼失し、ヒトラーは共産党による陰謀のせいだと決めつけヒンデンブルグを動かし「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」を公布し憲法が保障する「人身の自由、」「意見表明の自由」「結社の自由」など国民の基本権を停止します。
この「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」とは、ワイマール憲法48条で定められていて国家が危急の事態に瀕した場合、大統領緊急令を発令して必要な措置をすることができることなんです。つまり国会審議は必要なく大統領の裁量のみで決めることが出来る独裁政治に繋がる恐ろしい憲法なのです。
実はこの事件はヒトラーが自作自演でやったと言われていて、なぜこんな手の込んだことまでして憲法が保障する「人身の自由」「意見表明の自由」「結社の自由」などの国民の基本権を停止したかったんでしょうか?それは国会が政府に立法権を授ける「授権法」という全権委任法を成立させることが狙いだったのです。
この「授権法」が成立されれば4年間ドイツ議会に決議案を提出せずに法律を制定できる権限がヒトラー政権に与えられるので完全な独裁的な国家を作ることが出来るんです。それを制定させるには、国会議員の3分の2の出席と出席者の3分の2の賛成が必要なので反対派の共産党員が邪魔だったのです。そのため事件を起こして共産党員を逮捕さえすれば残りの議員は賛成派なので法案は可決することが出来ます。そして法案は成立することになりナチスによる粛清が始まります。突撃隊と言われる反対勢力の私兵部隊を処刑しユダヤ人や共和主義者を公務員職から追放する「職業官吏再建法」や劣等な遺伝子の排除により人種を改善する「遺伝病子孫予防法」などを制定し大規模なプロパガンダキャンペーンを画策します。これはドイツ人が読むべきではないと思われる本を燃やして、「ユダヤ人」「自由主義者」「左翼」「平和主義者」「外国人」などによって書かれた作品は「反ドイツ主義」だと演説しました。教育にも力を入れ教科書でヒトラーに対する愛情、反ユダヤ主義を導入し、情報についてもすべてのメディアを制御し完全なメディアコントロールを手中に収めました。このような独裁政治にも関わらず財界や国民は強い政府が実現し失業対策もしてくれていたので、迫害されていた人口の1%程度と少数のユダヤ人にはさほど気に留めず独裁的な政治や基本的人権が失われているにも関わらず洗脳されていってしまったのです。
ここで考えなくてはいけないのは、たとえ民主国家であっても、人間は貧困や失業などが続き社会が落ち込んでいて危機的な状況だと、なんとかしてこの世の中を変えて欲しいと切望し強いリーダーを求める傾向があると言うことです。ヒトラーのような独裁的で非道な人物であっても雄弁で自国の為なら何でもする人物を当時の国民は救世主だと思っていたのかもしれません。ドイツはワイマール共和国になる以前は帝国主義だったので今まで支配されることに慣れていて国民自らが主権者だということに自覚が足りなかったということや、議会も内閣が14年間で21回も変わるなど未熟であったこともヒトラーを止めることが出来なかった原因にも挙げられます。ここまで聞いていてなんとなく今の日本も当時のドイツと似ているところがあると思いませんか?経済は停滞していて格差は広がり主権があるにも関わらず投票にも行かずに政治にも無関心、そして将来への社会不安。難しいところは、莫大な借金を負っていて世界大恐慌の当時のドイツほどは不況ではなくインフレでもないのでそのような人物が出て来るとは思いませんが、徐々に悪くなっているのでどこかで一気に不況になればこのような人物が出てきても不思議ではありません。
ドイツの侵攻、第2次正解大戦の始まり
権力を手中に納めたヒトラーは、まず隣国のオーストリアを手に入れる為に、動き出しました。ヒトラーにとってオーストリアは隣国のチェコスロバキアを手に入れる為に必要な戦略だったことと出身国であったこともありゲルマン民族統一を訴えオーストリアの国民投票で99.9%の賛成で併合を実現しました。次にチェコスロバキアでドイツ人が多く住んでいるズデーテン地方を要求します。チェコスロバキアはフランス、ソ連と軍事同盟を結んでいたのですが、ヒトラーはズデーテン地方に住んでいるドイツ人が迫害を受けているので助けることを主張します。そしてこれ以上の領土要求をしないことを約束しイギリス、フランス、ドイツ、ソ連とミュンヘン協定によりズデーテン地方を譲渡することになりました。しかしそれだけでは済まされずチェコスロバキア全土を支配下におこうとします。ヒトラーはチェコスロバキアの大統領のハーハに対して侵略されたくなかったら国を渡すように言います。武力では到底勝ち目がないハーハは条件飲むことになりチェコスロバキアはドイツの支配下に置かれることになりました。そしてヒトラーは、次のターゲットを隣国のポーランドにします。ポーランドを手に入れるにはどうしてもソ連を抑える必要がある為、ソ連と「独ソ不可侵条約」を結び互いに攻撃はしないことを約束しました。これを当時世界では大変驚かれました。それはドイツは共産主義を敵対視していたので提携するとは考えらなかったからです。ソ連にしたら当時日本との戦争の準備の為でドイツに攻められたらまずい事情があったこととポーランド分割、バルト三国の併合の秘密協定があった為、結んだと思われています。締結後すぐにドイツはポーランドへ侵攻し第二次世界大戦が始まります。
ついにヒトラーはパリを燃やす
ポーランドを攻撃は初めはドイツのみでしたが提携していたソ連も途中から攻撃し挟み撃ちにされたポーランドにはなす術もありませんでした。占領されたポーランドは分割されドイツとソ連が持つことになります。そしてソ連はバルト三国にも侵攻し併合します。
